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No. 1 支部企画:関東支部 (2005年01月10日)
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大学(英語)教員養成課程設立、あるいは改善への提案:
保崎則雄(早稲田大学人間科学部)nhozaki@waseda.jp
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幼児、初等、中等教員は、養成課程を経て、採用されるのが常であるが、大学社
会は、どうも異なった人たちが支配しているようである。冷静に考えれば、教員
資格のない大学教員というのをおかしいと感じないこと自体がおかしい、と思う。
今まで、あるいは現在でも、大学教員は、研究者だから、資格は研究業績があれ
ばよい、という考え方が大学社会のみならず、一般社会にも広く行き渡っていた。
業績のある研究者なら、大学の先生として相応しいという判断なのであろう。一
面説得力があり、正当化される。
しかし、昨今、ビジネスなどの社会から大学教員にスライドしてくることが増え
てきた。同時に、大学大綱化以後で、大学の見直し、評価という観点から、FD
(Faculty Development),SD(Staff Development)という概念が浮上してきた。
(余談ではあるが、私は、20年以上も前、高校教員1年目から授業研究,改善な
どの必要性を強く自覚していて、最近その分野の仕事が増えつつあるという、私
には不思議な現象が起きている。)1945年以降の英語教育の現状を大雑把に省み
ると、皮肉にもいくつもの改革の機会があったのにも関わらず、その都度、大学
自体が真剣に考え、行動を起こしてこなかった「つけ」がそろそろ回ってきたと
も言える。そこで、以下、多少の批判、あるいは非難は覚悟の上で提案を試みる。
考えるにいたった過程は、私自身の教育、研究、生徒・学生指導、クラブ指導、
HR担当などの経験と見識ある周りの人たちとの意見交換によると自分自身では判
断する。
大学英語教員になるための資格と資質:(初等、中等教員資格もこれに準ずると
考える)
1)英語力があること
(一般社会で認知されている資格、経験などで証明。巷での資格を言われる前
に、個々人が結果を出すべきである。)
2)英語圏での留学、在住経験が少なくとも集中して1年以上あること
(できれば、3年と言いたいのであるが、身の回りのことが自分でできるとい
う基準)
3)博士号を取得していること
(隣の国では、半ば常識であり、今後の人材は必修と考えてほしい。英語圏で
の取得というのが望ましいであろう。学位は、パスポートと考えられる。)
4)英語で仕事、教育、研究活動の経験があること
(自分が英語を使った経験が少なくては、帰国生が珍しくない時代に指導する
者としては、不十分である。また、教育にあまり関心のない人材は、それ以外が
秀でていても教員としては、不適格。)
5)英語教育以外の専門分野を修めて、それを教えられる資格があること
(文学畑出身の人がとにかく多すぎることにより、現状となったという部分も
あるということを真摯に受け止める。文学、言語学を学びたい学習者はそれほど
多くない。しかし、同時に教員養成課程でのそれらの分野の学習は、一定限度必
要である。)
6)教えることだけでなく、育てることに強い関心があること
(教員は、一般に真面目すぎて、教え過ぎる癖がある。人を育てることは、学
習者と一緒の視点を持ち、かつ同等ではないという意識を持てるどうかという点
で難しさと楽しさがある。)
こう考えると今の教員養成課程(初等、中等も含めて)を大幅に改善する必要が
あるということになる。上記のような資格、資質をひとつでも多く持つ人間が、
教員養成課程指導者層にもっと入っていかないと改革は不可能であろう。同時に
帰国生活用の重要さは、養成課程のあちこちにもある。
現職教員は、該当大学院(最近は、インターネットで十分学べる!)で学び、資
格審査を受けるべきであり、これは、初等、中等教員も同様である。教員免許は、
せいぜい、5年が有効期限、あるいは賞味期限と考えてよいであろう。そして、
重要なことは、大学院での単位修得、免許更新を給与体系などにきちんと反映さ
せるということを、行政、各私立学校は、システム化することが大前提である。
「学ばない者からは、(学習者は)学ばない」ということは、自分の中で染み付
いてきた学びのひとつである。学び、向上心を持つ者が、やる気を起こすような
仕組みの構築が、この現状を救い得る。
教員を含む様々な分野の方々と、是非、この改善案について意見交換、議論をし、
具体的で実行可能なシステムとして構築したいものである。nhozaki@waseda.jp
まで、是非、ご意見を!
大学(英語)教員養成課程設立、あるいは改善への提案:
保崎則雄(早稲田大学人間科学部)nhozaki@waseda.jp
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幼児、初等、中等教員は、養成課程を経て、採用されるのが常であるが、大学社
会は、どうも異なった人たちが支配しているようである。冷静に考えれば、教員
資格のない大学教員というのをおかしいと感じないこと自体がおかしい、と思う。
今まで、あるいは現在でも、大学教員は、研究者だから、資格は研究業績があれ
ばよい、という考え方が大学社会のみならず、一般社会にも広く行き渡っていた。
業績のある研究者なら、大学の先生として相応しいという判断なのであろう。一
面説得力があり、正当化される。
しかし、昨今、ビジネスなどの社会から大学教員にスライドしてくることが増え
てきた。同時に、大学大綱化以後で、大学の見直し、評価という観点から、FD
(Faculty Development),SD(Staff Development)という概念が浮上してきた。
(余談ではあるが、私は、20年以上も前、高校教員1年目から授業研究,改善な
どの必要性を強く自覚していて、最近その分野の仕事が増えつつあるという、私
には不思議な現象が起きている。)1945年以降の英語教育の現状を大雑把に省み
ると、皮肉にもいくつもの改革の機会があったのにも関わらず、その都度、大学
自体が真剣に考え、行動を起こしてこなかった「つけ」がそろそろ回ってきたと
も言える。そこで、以下、多少の批判、あるいは非難は覚悟の上で提案を試みる。
考えるにいたった過程は、私自身の教育、研究、生徒・学生指導、クラブ指導、
HR担当などの経験と見識ある周りの人たちとの意見交換によると自分自身では判
断する。
大学英語教員になるための資格と資質:(初等、中等教員資格もこれに準ずると
考える)
1)英語力があること
(一般社会で認知されている資格、経験などで証明。巷での資格を言われる前
に、個々人が結果を出すべきである。)
2)英語圏での留学、在住経験が少なくとも集中して1年以上あること
(できれば、3年と言いたいのであるが、身の回りのことが自分でできるとい
う基準)
3)博士号を取得していること
(隣の国では、半ば常識であり、今後の人材は必修と考えてほしい。英語圏で
の取得というのが望ましいであろう。学位は、パスポートと考えられる。)
4)英語で仕事、教育、研究活動の経験があること
(自分が英語を使った経験が少なくては、帰国生が珍しくない時代に指導する
者としては、不十分である。また、教育にあまり関心のない人材は、それ以外が
秀でていても教員としては、不適格。)
5)英語教育以外の専門分野を修めて、それを教えられる資格があること
(文学畑出身の人がとにかく多すぎることにより、現状となったという部分も
あるということを真摯に受け止める。文学、言語学を学びたい学習者はそれほど
多くない。しかし、同時に教員養成課程でのそれらの分野の学習は、一定限度必
要である。)
6)教えることだけでなく、育てることに強い関心があること
(教員は、一般に真面目すぎて、教え過ぎる癖がある。人を育てることは、学
習者と一緒の視点を持ち、かつ同等ではないという意識を持てるどうかという点
で難しさと楽しさがある。)
こう考えると今の教員養成課程(初等、中等も含めて)を大幅に改善する必要が
あるということになる。上記のような資格、資質をひとつでも多く持つ人間が、
教員養成課程指導者層にもっと入っていかないと改革は不可能であろう。同時に
帰国生活用の重要さは、養成課程のあちこちにもある。
現職教員は、該当大学院(最近は、インターネットで十分学べる!)で学び、資
格審査を受けるべきであり、これは、初等、中等教員も同様である。教員免許は、
せいぜい、5年が有効期限、あるいは賞味期限と考えてよいであろう。そして、
重要なことは、大学院での単位修得、免許更新を給与体系などにきちんと反映さ
せるということを、行政、各私立学校は、システム化することが大前提である。
「学ばない者からは、(学習者は)学ばない」ということは、自分の中で染み付
いてきた学びのひとつである。学び、向上心を持つ者が、やる気を起こすような
仕組みの構築が、この現状を救い得る。
教員を含む様々な分野の方々と、是非、この改善案について意見交換、議論をし、
具体的で実行可能なシステムとして構築したいものである。nhozaki@waseda.jp
まで、是非、ご意見を!