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No. 19 西納 春雄(関西支部) (2006年07月10日)
ブラックボックスに抵抗して
ジャンボジェットからおサイフケータイまで、「コンピュータがなければ何もできない」というのは、現代文明の真実です。しかしながら、コンピュータという道具を使いこなしているつもりが、いつの間にか仕組みの分からないものを信頼し、バーチャルな快適空間に身を委ねてしまってはいないでしょうか。
コンピュータというのは、くせ者で、我々素人には、内部の構造はせいぜいモジュール的な単位でしか分からず、ブラックボックスです。心臓部のCPUをはじめ、その上で動くOSやアプリケーションは巨大化多機能化して、便利になってはいますが、よほどのプロでも、もはや一人ではソースコードを読み解くこともできないでしょう。訳の分からないブラックボックスを使うことになれてしまうことで、仕組みの分からないもの存在を何とも思わず、身を任せて平気な感覚が生じてくるのが、私には怖く思えます。
先般あるクラスで、英語ニュースに出てきたエンジンの話をする機会がありましたが、今の自動車学校では構造の授業が全くないそうで、たまたま文科系のクラスだったのですが、エンジン(内燃機関)の構造を全く知らない学生さんが100%だったのには驚きました。エンジンの主要パーツである、冷却系、燃焼系、電気系、燃料系の関係はもちろん、動力発生のおおよその仕組みも理解していません。したがって、ニュースの中のエンジンの構造を見てもほとんど理解できていません。直接間接に毎日利用するものですし、「ものの仕組み」に関するごく基礎的な知識だと思えるのですが。
このような、命を預けるものをブラックボックスのままにして身を任せることに疑問を挟まないでいると、日常生活の他の重要部分もブラックボックス化してゆく恐れがあります。政治もブラックボックスで技術屋(政治家)に任せておけばいい、経済も、外交も、社会そのものも...と、自分の身の回りのブラックボックスがとめどなく増殖していくような気がします。
理科離れ、数学嫌いがいわれて久しいですが、数学に限らず、入試の科目にないので、日本の歴史を知らない、選択しなかったので地理は知らない、地学の知識は全くない、等々の、考える以前に考えるための基礎的知識や思考法を欠いている人たち(大人を含めて)が結構増えているように思えます。
現在のように、商品の選択の幅が広く、デジタル文化の進化した時代には、自分の好みのものや情報を選択して講読・購入することができます。自分の好みの音楽、自分の好みの意見、自分の好みの友人たち、自分の好みの持ち物で、身の回りを実に「居心地よく」包み込むことができます。映画MATRIXを思い出しますが、あの世界は徐々に現実のものとなりつつあるように思います。このような時代には、居心地の良い空間の外にある「本物の世界」に目を向け、その魅力や仕組みを知ることが、特に大切に思われます。
私もいつの間にか、ブラックボックスとして人に任せている部分が多くなり、新たに知識を仕入れるのも、少々おっくうな年齢になってしまいましたが、昔からJack of all trades . . .を自認しておりますので、つとめていろんなことに関心を持つようにしています。苦労しながら十年余り研究室でサーバを管理しているのも、ブラックボックス化する世の中へのせめてもの抵抗です。
日頃教えている学生さんたちは、私などの知らないところで、若者なりの豊かな世界を持ち、知的好奇心旺盛な生活を送っているとは思いますが、英語という言語を通じて、また、英語に乗せて様々な刺激的な情報を送り込むことで、意識を現実に引き戻し、今の彼ら彼女ら自身の存在を、より深く理解し、より広い視点から見ることができるように、と願いつつ、教壇に立っています。
次回は、第二言語習得、英語教育、コーパス分析などで多くのすばらしい業績をあげておられる、名古屋大学大学院国際開発研究科の杉浦正利先生にエッセイをお願いいたしました。
ジャンボジェットからおサイフケータイまで、「コンピュータがなければ何もできない」というのは、現代文明の真実です。しかしながら、コンピュータという道具を使いこなしているつもりが、いつの間にか仕組みの分からないものを信頼し、バーチャルな快適空間に身を委ねてしまってはいないでしょうか。
コンピュータというのは、くせ者で、我々素人には、内部の構造はせいぜいモジュール的な単位でしか分からず、ブラックボックスです。心臓部のCPUをはじめ、その上で動くOSやアプリケーションは巨大化多機能化して、便利になってはいますが、よほどのプロでも、もはや一人ではソースコードを読み解くこともできないでしょう。訳の分からないブラックボックスを使うことになれてしまうことで、仕組みの分からないもの存在を何とも思わず、身を任せて平気な感覚が生じてくるのが、私には怖く思えます。
先般あるクラスで、英語ニュースに出てきたエンジンの話をする機会がありましたが、今の自動車学校では構造の授業が全くないそうで、たまたま文科系のクラスだったのですが、エンジン(内燃機関)の構造を全く知らない学生さんが100%だったのには驚きました。エンジンの主要パーツである、冷却系、燃焼系、電気系、燃料系の関係はもちろん、動力発生のおおよその仕組みも理解していません。したがって、ニュースの中のエンジンの構造を見てもほとんど理解できていません。直接間接に毎日利用するものですし、「ものの仕組み」に関するごく基礎的な知識だと思えるのですが。
このような、命を預けるものをブラックボックスのままにして身を任せることに疑問を挟まないでいると、日常生活の他の重要部分もブラックボックス化してゆく恐れがあります。政治もブラックボックスで技術屋(政治家)に任せておけばいい、経済も、外交も、社会そのものも...と、自分の身の回りのブラックボックスがとめどなく増殖していくような気がします。
理科離れ、数学嫌いがいわれて久しいですが、数学に限らず、入試の科目にないので、日本の歴史を知らない、選択しなかったので地理は知らない、地学の知識は全くない、等々の、考える以前に考えるための基礎的知識や思考法を欠いている人たち(大人を含めて)が結構増えているように思えます。
現在のように、商品の選択の幅が広く、デジタル文化の進化した時代には、自分の好みのものや情報を選択して講読・購入することができます。自分の好みの音楽、自分の好みの意見、自分の好みの友人たち、自分の好みの持ち物で、身の回りを実に「居心地よく」包み込むことができます。映画MATRIXを思い出しますが、あの世界は徐々に現実のものとなりつつあるように思います。このような時代には、居心地の良い空間の外にある「本物の世界」に目を向け、その魅力や仕組みを知ることが、特に大切に思われます。
私もいつの間にか、ブラックボックスとして人に任せている部分が多くなり、新たに知識を仕入れるのも、少々おっくうな年齢になってしまいましたが、昔からJack of all trades . . .を自認しておりますので、つとめていろんなことに関心を持つようにしています。苦労しながら十年余り研究室でサーバを管理しているのも、ブラックボックス化する世の中へのせめてもの抵抗です。
日頃教えている学生さんたちは、私などの知らないところで、若者なりの豊かな世界を持ち、知的好奇心旺盛な生活を送っているとは思いますが、英語という言語を通じて、また、英語に乗せて様々な刺激的な情報を送り込むことで、意識を現実に引き戻し、今の彼ら彼女ら自身の存在を、より深く理解し、より広い視点から見ることができるように、と願いつつ、教壇に立っています。
次回は、第二言語習得、英語教育、コーパス分析などで多くのすばらしい業績をあげておられる、名古屋大学大学院国際開発研究科の杉浦正利先生にエッセイをお願いいたしました。